東北・北海道で唯一の公立美術大学として、2013(平成25)年に開学した「秋田公立美術大学」(秋田市新屋大川町)。2017(平成29)年には、全国で唯一の複合芸術研究科を設ける大学院も開設した。4月、開学10周年を迎えた同公立大学法人の理事で複合芸術研究科教授、美術家の岩井成昭さんに話を聞いた。
― 開学10周年、おめでとうございます
ありがとうございます。前身の秋田公立美術工芸短期大学が取り組んできた工芸やクラフトなどの「ものづくり」をベースに、現代アートの要素を取り入れたり、地域との連携を広げたりすることを通して、新しい価値観や産業の創生につなげていくことに運営の軸を置いて開学し、10年を迎えることができました。4年制になって、領域横断的な取り組みや、複合芸術などの概念を伝える時間的な余裕を持てるようになりました。学生が、専攻と異なる他分野の先生にも当たり前のように関わることができることも、ほかの大学にはない当大学の特長の一つになっています。
変わらないのは、今でもかつての略称「美短」と呼ばれてしまうこと。タクシーで「美大まで」と伝えても、「美短ですね」と返されてしまうことが多いんです(笑)。7月6日から、開学10周年記念展「美大10年(あきびじゅうねん)」を開いていますが、「美大」と書いて「あきび」と読むタイトルには、「4年制の美大」をよりいっそう浸透させたいという思いを込めています。
― 東北・秋田にある美術大学としての意義について教えてください
自身が選んだ技法の修練だけではなく、首都圏の大学ではできない、秋田ならではの教育が必ずあるはずです。そして、学生は「なぜ、今自分は秋田に存在しているのか?」について、真剣に考えることが大切になります。
例えば、世界的な舞踏家として知られる土方巽の舞踏映像を30人ほどの学生に見せたことがあります。もし予備知識を持たずに観れば、戦慄さえを感じる映像かもしれません。ホラー映画のようだと感想を述べた学生が数人いました。一方で、「子どもの頃に手伝った稲刈りで、田んぼの泥に足を取られて、稲の束を抱いたまま転んで動けなくなった自分の姿を見た」との感想を寄せる学生がいました。自身の体験を芸術が生まれた根源に結び付け、土方が言いたいことを一瞬で見抜いたのです。
また、実家が稲作農家であることから、田んぼの土を陶芸で使えないかと考えた学生もいました。どのような土でも陶土として使えるわけではありませんので、実家の田んぼを掘り返して、なんとか陶土に使えそうな土を見つけ、大学に持ち帰って飯碗を作り、さらに実家の水田で稔った米を炊き、盛って食べるという、一連の行為によって作品を完成させました。
このように、自身を取り巻く環境から経験したことが必然的に表現の解釈や発想につなげることができるのは、秋田における生活と制作、あるいは、自分が興味を持つ自然や生活の要素と表現が近いところにあるからではないでしょうか。自身の等身大の生活と表現を一体化させるような発想は、首都圏の学生には難しいことかもしれません。概念だけではなく、ありのままの状態で創造的な環境が身近にあることで、秋田では「実践と理論」の両輪から学ぶことができるんです。
― 学生の皆さんは、そのような環境を生かせていますか?
そもそも、秋田には、アート作品を作ろうとか、アートプロジェクトを立ち上げようとかいう意識を持つ以前に、すごくクリエーティブなことに取り組む人々が多くいます。そのような環境で、自身を見つめ直し、力強い作品を作り出す学生も目立ってきました。卒業制作の作品を見て感じるのは、「秋田に今、私が存在していること」をモチベーションに成果を上げる学生が増えてきているということ。これからも伸ばしていきたいところです。
学生を温かく迎えて協力してくれる地元の企業やエンジニアも多く、学んだ技術を作品に生かす学生も少なくありませんが、もう少し学生を「表現者」として扱ってもらえないものかと思うこともあります。「絵を描くのが好きな学生だから、描いたり、デザインしたりすることを喜んでしてくれるだろう…」という前提から無償で仕事を受注せざるを得ない学生もいるようです。学生の作業レベルの問題もありますが、アートやデザインは日常生活にかかせないもので、その技術や成果物が対価を伴うことは当然です。地域の皆さんに理解いただけるよう、大学としても努力したいところです。
― 大学と地域の関係も10年で広がりを見せました
私自身も秋田に「入植」して10年になりますが、一時滞在者のモチベーションと、そこに暮らすことの意味やそこから見る視点などは、全く異なるものと感じています。今でも地域に受け入れられたとは思っておらず、疎外感を感じることもありますが、私の立場の視点を持ち続けるためには、それでいいと思っています。10年を振り返って、私が幸せなことだったと感じるのは、開学当初の新任教員14人が持つさまざまな分野の専門性から秋田という地域を見ることができたことです。それから実際に秋田を回って、いかに秋田が自然的・文化的に芳醇な地であるのかを知ることができ、私自身も成長させてもらうことができました。
開学した2013(平成25)年は、秋田で開かれた国民文化祭の前年でした。プレ事業として県が展開した文化事業「あきたアートプロジェクト」にも携わり、当大学に着任したばかりの教員の写真展「時花(トキハナ)」を開くなどして、市民の皆さんに「自己紹介」することから始まりました。
2014(平成26)年には、秋田ケーブルテレビ(八橋南1)と連携し、同社屋内にギャラリー「BIYONG POINT(ビヨンポイント)」を開設しました。現在にいたるまで、卒業生の作品展など、さまざまな展覧会に活用しています。
2018(平成30)年、当大学と地域の連携事業などを手掛けることを目的に立ち上げたNPO法人「アーツセンターあきた」(新屋大川町)は、大学と外部をつなぐハブのような機能を果たしています。中でも、当NPOが市の委託を受けて管理する「秋田市文化創造館」(千秋明徳町)は、全国から秋田を訪れる美術関係者などから高く評価されています。トップレベルのアーティストと、館内に足を運ぶ市民や放課後に勉強する高校生があたりまえのように同じ空間にいて、自然に交流が生まれるようなことが起きています。このような文化施設は全国的にも希少であり、地域に根差した出会いの場としての役割を果たしています。
開学から数年は、大学を軸にして、トリエンナーレやビエンナーレなどの本格的な芸術祭を秋田で開くことを中心に検討されたこともあったようですが、より地域に根差した活動に取り組むべきとのリサーチ結果などを受けて定められた秋田市の方針は、文化創造館の開館も含めて良い選択だったと考えています。そこに呼応しながら当大学にも新たなモチベーションが生まれてきているように思います。
― さまざまな学外プロジェクトも展開しました
私が主導したものでは、アーティストやアート周辺の人材の育成などを目的に、受講生を一般公募して実施した文化庁の事業がいくつかあります。2015(平成28)年から3年、アートマネジメントを題材に県内を回りながら展開した「AKIBI plus(アキビプラス)」の成果は、2017(平成29)年に「辺境芸術最前線」として1冊の本にまとめることができました。2019(平成31)年から3年間、プロジェクトの内圧を高めることを目的に合宿形式のプラクティス「旅する地域考」に取り組みました。2021年からは、秋田と沖縄や京都など県外地域との対比の視点を取り入れた「AKIBI複合芸術プラクティス・複合芸術ピクニック」を展開しました。
― 事業は大学や地域にどのように活きていますか?
これらのプロジェクトで培った考え方は、一つのメソッドになってきたという手応えがあります。大学院の授業にフィードバックすることもあります。また、受講生の皆さんが、それぞれネットワークを作って新たなプロジェクトを立ち上げるなど、アクティブな活動につなげていて、それらの取り組みは、私たちが志向していた複合性を有していることがうれしいです。そのような所産を見ていると、これらのプロジェクトを通じて「創造の種」をまくことができたのではないかと、ささやかだけれど、確実な成果だと考えています。
― 大学院を中心に展開する「複合芸術」について教えてください
「複合芸術」とは、研究の視点からは、何かを寄せ集めて新たな物を作り出すという意味ではなく、一つのテーマを多角的に見ることを通じて、いかに事物が複合的に形成されているのかを分析すること。さまざまな角度から透かしたり、削り取ったりもしながら、いかに複合的に出来上がっているのかを紐解くことです。
複合芸術の定義自体は、実は教員ごとに異なりますが、私自身の解釈としては、複合とは、雑多ではないが、いくつかの要素が存在していて、それぞれの関係を考えていくと相乗的な効果が生まれ、単体以上の能力を発揮するような状態を指します。大学の理念の一つに「新しい芸術領域を作ること」があります。複合芸術は、これを発見するためのツールであり、方法論の一つです。そして私個人としては、複合芸術に空間的な領域横断を加えて実践することでしか、この理念を実現できないものと考えています。定義を確立できていないことに対する批判については、今は甘んじて受け入れるほかありませんが、この定義を獲得するために思考し続けることが大学院の役割だと信じています。
― 複合芸術の社会的な役割や機能は、どのようなものでしょう
社会や生活の構造と学問の問題は、切っても切り離せない関係にあります。そして、複合芸術の考え方を身につけた人が増えるほど、世の中は良くなっていくものと思っています。現在、私が社会に足りていないと感じるのは「寛容性」です。敵・味方のような二極的で単純化した解釈ではなく、対立・対峙する要素の効果や利点、共有・通有できる部分、絶対的に異なる部分…。これらを分析して、視野を広く持つ複合的、領域横断的なものの見方をすることが大切です。そのためには、自身の専門性以外の領域に踏み込む勇気が必要なります。そこでは、謙虚さや寛容さをもって振舞わないと、自身の成果にもつながりません。逆に成果を持ちかえることができれば、自身の領域はもっと豊かになるはずです。アウェーの状態で研究を進めることが、いかに大事なことなのかと強く思っています。
― 具体的に日常のどのような場面で寛容さの不足を感じますか?
私が身近なところでは、学生の悩みの背景には、経済格差は旧来からの問題だとしても、周囲がジェンダーの複雑性を軽視することや、残念ながら未だに男尊女卑や家長制度のような古い考え方が残っていることも要因の一つとしてあるかもしれません。これらは、相手の気持ちに立って、新しい時代を受け入れて、考え方を広げなければ解決しないことです。
また、海外にルーツを持つ在留外国人への不寛容さは、近年、目に余るものがあります。自身が高齢になったり、身体的な障害を持ったりしたとき、マジョリティーから見ると、誰でもマイノリティーになります。他者に厳しい場所にしてしまうことは、めぐりめぐって自分自身に返ってきます。マイノリティーが暮らしやすい場所は、自分自身も暮らしやすい場所であることは言うまでもありません。
― 岩井さんが東京で主宰するプロジェクトの趣旨にも通じそうです
アートの視線を通して、在留外国人や、日本国籍の有無を問わず海外ルーツを持つ人たちのバックグラウンドにある、日本人とは異なる価値観や文化を紹介することを目的に、2010(平成22)年、東京都小金井市で立ち上げたプロジェクトベースの「イミグレーション・ミュージアム・東京」ですね。そもそも、アートとは元から複合的なもので、何らかの分岐点や新しい潮流などは、経済や異文化との摩擦や融合など、必ず何らかの異なる要素が関係づけけられて生まれるものです。芸術的な側面においては、そのような現場を見たい、作りたい、想像したいということをモチベーションに取り組んでいます。もう一つは、在留外国人の問題を風通しよくしたいという社会的な側面です。良し悪しや是非を問うのではなく、「可視化する」こと。当プロジェクトに関わる参加者や鑑賞する人が、自由に判断する場所を用意しておくべきです。これは、私のライフワークでもあり、無理せず、コツコツ長く続けていければと思っています。
― 最後に学生の皆さんへ一言お願いします
今の時代だからこそ身に付けてもらいたいのは、対立や融合などを解決するための、人との関係における「対人体力」です。コラボレーションでできることが、どのような取り組みであっても非常に重要だからです。
― ありがとうございました
期間:2023年7月6日(木)~8月7日(月)
時間:12時~20時(土曜・日曜・祝日は10時~)、火曜定休
秋田市文化会館(秋田市千秋明徳町3-16)
入場無料