秋田県内を拠点にしながら「仏教的ラテンバンド」を標榜し、県内外で音楽活動を展開する6人組の音楽グループが、現在、注目を集めている。グループ名は「英心(えいしん) & The Meditationalies(メディテーショナリーズ)」。2013年に結成し、翌年リリースしたCDデビューアルバム「からっぽ」が、音楽専門誌「ミュージックマガジン」主催の「年間ベストアルバム2015レゲエ・日本部門」で1位を獲得するなど話題になった。9月には、2作目のCDアルバム「過疎地の出来事」をリリースした。松庵寺(秋田県三種町)の住職を務めながら、グループのボーカルと作詞・作曲を手掛ける英心さんに話を聞いた。
――各所でのライブが好評のようですね
夏祭りや寺院境内、道の駅、蔵、廃校などのステージで演奏する機会が多いです。ライブハウスのような会場で演奏することはあまりないのですが、年間40本ぐらい、この3年ほどで100本以上のライブをこなしてきました。富山県南砺市のワールドミュージックフェス「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」、山形県大江町の山奥のフェス「CBJAM」、能登半島の先端、石川県珠洲市の手作りライブスペースなどで行った演奏などが印象深いですね。10月に長野県松本市で開かれた「りんご音楽祭」にも出演しました。私たちは地方の無名バンドですから、さほど期待されていたわけではなかったと思いますが、演奏を聞いて集まってきてくれた来場者もいました。皆さんの楽しんでくれる顔が見られたことがうれしかったですね。今年は、熊本や大分でライブの予定もあります。最近は、来場者の反応から手ごたえを感じることも増えてきました。秋田市内在住の5人のメンバーも音楽活動だけをしているわけではないので調整は大変ですが、楽しみながら回っています。
――あえて地方を回っているのですか?
東京などで演奏することもありますが、(出演依頼で)声を掛けてもらうのは地方が多いですね。私たちも地方を拠点に活動しているので、共鳴してくれることがうれしいです。
――前作は音楽専門誌でも高く評価されました
最初は「色物」として見られているのかなと心配しましたが(笑)。音楽の世界は、現在、あらゆるジャンルが飽和状態にあります。そのような環境の中で、新しい音楽を生み出していこうとする私たちの姿勢を評価いただけたことはうれしかったですね。
――ラテン色の強い楽曲が多いですね
昔からジャマイカのレゲエやキューバのソン、サルサなど南米のラテン音楽が好きで、東京の大学でもサンバのサークルに所属していました。卒業後、僧侶の修行で赴いたのもブラジル・サンパウロの寺院でした。傍らで、パーカッションを習ったり、ライブを回ったりしました。その後、カリブなどを回りながら音楽の修行もしました。
――そのまま移住したくなりませんでしたか?
大学進学で東京に出たときも、僧侶の修行でブラジルへ赴いたときも、「ここではないどこか」に自由や可能性を求めていました。しかし、ブラジルやジャマイカの人々は、自分たちの土地のルールで、その瞬間を楽しんでいました。音楽についても自分たちのルーツを踏襲した上で、今の音楽にアップデートしていました。そのような人々の姿に触れたとき、私は「ここではないどこか」に何かを探し求めていたのではなく、自分の根っこに眠っている何かを探していたのだということに気が付いたのです。私のルーツを振り返ったとき、秋田という土地、そして、寺に生まれたという事実があります。南米で体験した数々の感動的な出来事は「仏教的なフィルターを通して感動している自分」という気付きを与えてくれました。今では、ないものを探すのではなく、もともとあるものからしか見つからない世界を開花させることが、自分が求める道、与えられた道なのではないかと考えています。
――英心さんは、ほとんどの楽曲で作詞と作曲を手掛けていますね
ネガティブなことをポジティブに捉え直していこうという気持ちで帰郷したのが2013年。それまでの経験から、そろそろアウトプットの時期だろうと曲作りを始めました。私の曲の世界観が仏教や地方なのは、私が地方のお坊さんだからというだけです。世界観のない曲は人に響かないはずです。地元で生活している中で、身近にある出来事を自分の中にある仏教的なフィルターを通して「じんわり」とした感動をそのまま歌詞に落とし込んでいます。楽器は一通りできるので、自分で多重録音した「秋田濃厚民族」という曲のPV(プロモーションビデオ)も作りました。実家の半径500メートル以内で撮影した映像だけを使って。
――ソロではなくバンド形態にしたのは?
PVを動画投稿サイトに掲載したところ「バンドを組んでみては」との声を掛けられたのがきっかけです。地元にミュージシャンの伝手(つて)はなかったのですが、ちょうど同じ時期に帰郷していた秋田市在住のフルート奏者で広い人脈を持つ「いしま」が、ジャズミュージシャンを紹介してくれるなどしました。現在、ドラムの諸越俊玲、ベースの加藤禎哉(さちや)、フルートのいしま、トランペットの雄大(ゆうだい)、キーボードの岩倉しげるの5人で活動しています。諸越はトロンボーン、いしまは鍵盤ハーモニカ、雄大はキーボードも演奏します。私はボーカルとギター、パーカッションを担当しています。
――実力あるメンバーに恵まれたのでは
ジャズを主体に演奏してきたベーシストの加藤は他ジャンルの音楽の演奏も優れていますし、私の高校の先輩の岩倉もポップスのセンスに長けています。ほかのバンドでも活躍するドラマーの諸越は音響などの周辺技術もあり、イベントの企画はいしま、マネジメントは雄大など、メンバー間の役割分担もうまくできています。
――バンド内のチームワークも良さそうですね
今にして思えば、私の世界観を展開する意識が強かったファーストアルバムは、メンバーにお願いして制作したようなところがあったかもしれません。その後、コミュニケーションを取りながらライブを重ねて、今ではメンバーが主体的に意見を出し合いながら活動できる雰囲気になりました。私もメンバーの音楽的なバックグラウンドや個性が見えてきたので、メンバーに寄り添った曲作りをしようとの意識に変わりました。自然とメンバーの持ち味を生かした楽曲が沸いてきます。新作の収録曲「目覚めのサンバ」のホーンアレンジは、吹奏楽に精通した諸越が担当しました。メンバーはレゲエやラテンのプロフェッショナルではないのですが、特定の音楽ジャンルを突き詰めるよりも、コミュニケーションを深めることを大事にするようにしています。状況によってできることは変わっていくはずですし、自分のこだわりよりも柔軟であった方がいい場面があります。楽しくなくなったらやらないですからね(笑)。
――それにしても「The Meditationalies」とのバンド名は読みにくいし、覚えづらい(笑)
長くてどうしようかなと(笑)。でも、温めていたコンセプトがあったのです。私の大好きな「レボリューシュナリーズ」というジャマイカのレゲエのグループがあるのですが、私は坐禅するお坊さんなので「メディテーショナリーズ」がいいなと考えたのです。「メディテーショナル」には、物事を俯瞰(ふかん)で見るという意味があります。「坐禅のように主体的かつ俯瞰的に、音楽や私たちを取り巻く状況を見ていくのだ」というコンセプトから。これは私のこだわりですね。
――新作アルバムについて教えてください
セカンドはファーストを越えられないとのジンクスもありますが、いい塩梅に力が抜けて、自然体で作れたかなと思っています。新たなモノを無理に作り出そうとするのではなく、お釈迦さまの言葉「知足(ちそく)」を、私たちの生き方や活動で一番大事にしていることです。「足ることを知る」と書きますが、これは現状で満足する、我慢するということではありません。過疎地であっても、「いま、ここにある自分」に可能性の全てが詰まっているのだから、今ここでできる最大のパフォーマンスを発揮するのだという意味です。いろいろな経験から引き出しを増やし、アウトプットする段階では惜しげもなく出し切るのだという気持ち。そのようにして仕上げることができた新作は、よりリアルな作品になったのではないかと思います。
――アルバム収録曲をいくつか紹介してください
表題曲「過疎地の出来事」は、松任谷由美さんの曲「避暑地の出来事」のダジャレから思いついたのがきっかけなのですが(笑)、アルバムタイトルにしたのは、全ての曲が過疎地でできたからです。私の寺院がある三種町の人口は1万6000人余り。とかく人口減少や過疎化、高齢化などの言葉が秋田県内では飛び交い、寂しいムードが漂っています。一方で、地元の同級生が教えてくれた海や山での遊びはとても楽しい。さびれた地元の温泉に一人で行って最高だなぁと思うこともあります。ちょっと視点をかえれば過疎地だって、たちまちパラダイスになると思うのです。極楽も地獄も自分の心の中にあります。「智慧(ちえ)」の力で極楽に持っていきたい。智慧とはお釈迦さまの言葉で、一見ネガティブな事をポジティブに捉え直す力のことです。人が少ないなら人が少ないことを楽しむ。過疎地の問題は山積みですが、まずは今を楽しんでいかないともったいないです。
秋田弁をスペイン語のような語感で作詞した「Oi bamba!(おい・ばんば)」。「Bamba」というのはおばあさんのこと。「おい、おばあさん、あなたの旦那さんはどこへいったの?」という、おかしくも切ない内容なのですが、地元では一人暮らしのおばあさんの世帯も増えてきました。法事のため出掛けた先でおばあさんと話していると、昔の苦労話や現状への憂いなどの話題が多いのです。それをそのまま歌詞にしたのですが、地元のライブでは大ウケします。意味は伝わっていないと思うのですが、外国の人などは踊り出したりします(笑)。ワールドミュージックって、歌詞の意味なんてあまり気にせず、語感とリズムを楽しんで聴くことができればいいと思っているのです。あえて訳詞を付けずに「秋田県民だけが分かる」というドメスティックな特別感を持たせました。
自分自身や友人の恋愛観や結婚などがテーマの「いまも、いまも。」。曹洞宗の開祖・道元禅師が「而今(にこん)」という言葉を残しています。これは「いま、ここ」しか確かなものはないという意味です。過去は変えられないし、今を大切にしなければ確かな未来がない。また、お釈迦さまは「対機説法」といって、受け取り手が分かるような平易な言葉で法を説けと示されています。「じんわり」と感じた感動や愛について、仏教のフィルターを通しながら難しい言葉を使わずに表現した曲です。
雪が溶けた春のお彼岸に、愛する人を亡くした人々がお花を携えて墓参りする姿を見て書いた「恋人たちの花まつり」。お釈迦さまの誕生日「花まつり」がクリスマスに比べて盛り上がらないので、クリスマスソング的に「花まつりソング」を作ろうと。しかし、寺に住んでいると、愛する人と死に別れる人々とたくさん関わります。「姿が見えなくても愛する気持ちは、花を供える心を通して伝わっているよ」と歌っています。
地元で過ごした高校生ぐらいのころは、田舎の閉塞感から解放されて、憧れの都会を謳歌したいという気持ちでいっぱいでした。その後、大学やブラジルでの生活、カリブでの音楽修行を経て、おなかいっぱいで秋田に戻りました。ここで一生過ごさなければならないのなら、うちの寺のお釈迦さまの手に抱かれながらここでしか書けない歌を作ろうと決意しました。先ほどお話しした「知足」を胸に、寂しく見える町だけど、いつかきっと極楽に変わるんだ、歌うことで変えてみせるんだという希望を表現したのが、ラスト曲「まわる」です。
――このアルバムを、どのように聴いてもらいたいですか?
地方の過疎化や高齢化は全国的な課題ですが、秋田は人口減少率ナンバーワンの「過疎地代表」。「過疎地」をポジティブに捉え直すことで、心の持ち方を変えていくことはできるはず。私自身、自由に動けるのならどこ行ってもいいのですが、秋田で一生過ごすことが決まっているのだからしょうがない。極楽に変えていくことができるはずです。そのように考えて、人生を謳歌する人が増えてくれたらうれしいですね。
――バンドはこれから、どのように発展するでしょう?
ローカルだからクオリティーが低いと思われがちですが、ローカルにこそワールドミュージックのうま味があります。これからもバンド活動を通じて、ローカルに詰まっているものを発揮していきたいですね。私を含めてメンバーに子どもが生まれたり、それぞれの生活スタイルは変化したりしています。ですから、やりたいことも常に変わっていきます。無常・無我の世で、ご縁を大切にしながら今できること、やりたいことを大切に、導かれた現場をしっかり楽しんでやっていくことができれば。
――ありがとうございました