-創立5周年おめでとうございます
伊藤「ありがとうございます。あっという間の5年でしたが、これからが本当のスタートだと思っています」
黒川「私は伊藤と違って、もともとこの業種だけで仕事してきたわけではありませんでした。だから、収入がどのぐらいになるのかもわからなかった。独立時は、とにかく『飛び出した感』満載で(笑)。当初はとにかく節約しなきゃという思いで生活してましたし、結構ひもじかった記憶も…。この5年を振り返れば、食えて良かった!と(笑)」
-今でも秋田で3DCGの制作を専門にする会社は珍しいですね
伊藤「当初は、秋田での仕事がまったくなくて、『本当に秋田でCG制作で食っていけるのか?』と思ったこともありますが、おかげさまで、今では秋田県内の仕事が中心になるまでになりました。秋田を拠点にしていても、これまでには海外とのやりとりのある仕事もありましたし、普通なら会えないような人にも出会えました。当社のホームページを見た人からの依頼もあります。最近はデータの容量が大きいハイビジョンも増えたので、最終的なデータはハードディスクやDVDでやり取りすることもありますが、今でもプレビュー確認はネットで行うことが通常です。インターネットがあれば、秋田のような地方でも大きなハンディーはないように思います」
黒川「伊藤はビッグネームですから(笑)」
伊藤「秋田では自分たちがこの分野の『走り』だという自負はありますよ(笑)」
-伊藤さんのCGとの出会いは何でしたか?
伊藤「僕はゲームでした。『ファイナルファンタジー』のファミコン版。今見れば、グラフィックも音もチープですが、中学生の時に初めて遊んだロールプレイングゲームでした。涙ぼろぼろ流しながら夢中で遊びましたよ(笑)。感動を飛び越して鳥肌が立つような思い。もともと絵を描くことも好きだったので、自分もその世界に身を置きたいと思ったのがきっかけです」
-その後、どうされましたか?
伊藤「当時、秋田にはCGを学べる学校はありませんでした。東京でもまだあまりなかった時代だと思います。とにかくゲームの制作に関われればとの思いから、地元の高校を卒業してアニメーション専門学校に入校しました。卒業後、ちょうど『徳間書店インターメディア』が仙台にゲーム制作部を立ち上げたところで、応募して入社しました。 CGなんて1回も書いたことがなかったのに(笑)」
-よく入社できましたね
伊藤「ゲームの制作に関わりたい一心で…そういう場面では、ギラギラした自分がいるんですね(笑)。その後は、仙台で出会ったプログラマーからグラフィックを求められて一緒に仕事したり、ゲーム一本でやっていこうという気持ちでいたころです」
-伊藤さんはソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)でも活躍されましたね
伊藤「25歳ごろですね。当時、数千人の中から100人ほどのクリエーターを選ぶ『ゲームやろうぜ』というクリエーター向けオーディションがあって、これに通ったんです。オーディションを通過した仲間同士でチームを組み、チームごとにゲームを出すというプロジェクトなどで仕事しました。スーパーファミコン向けのキャラを4ビット16色で表現する『ドット絵』なども描いていました。このころは、まだ3DCGの黎明期。マシンの処理能力も非力だったので、作業は本当に時間がかかりましたよ」
-中学生のころの思いが適ったわけですが、なぜSCEを辞めたんですか?
伊藤「会社には4年いましたが、辞める時は29歳になっていました。もともと東京で一生暮らすのはいやだなと思っていて、30歳になる前には地元に戻ってCGの仕事をしたいと考えていました。ちょうどインターネット環境が秋田でも整ってきたところでしたし、データのやりとりも含めて秋田でもできるだろうと」
-なるほど
伊藤「あと、大きな会社では、制作の分業化が進み過ぎていて、クリエーターとしてトータルの作品づくりがしにくい環境にもなっていました。それをやるなら独立するしかなかったです。それに、ゲーム制作という中学生のころの夢は、もう適ってしまったんですね(笑)。次の夢を探すためにも、秋田に帰って仕事したいと思っていました」
-黒川さんとはどこで知り合ったのですか?
伊藤「僕が秋田に帰ったのは2000年の秋でしたが、フリーランスとしての仕事も並行しながら、地元の劇団の仕事に携わりました。そこで働いていた黒川と出会いました」
-その後、2人で独立しようと?
黒川「私は前職は設計の仕事をしていたのですが、劇団では踊りの記録などにもCGを活用していました。私たちが3DCGの制作に使う『SOFTIMAGE|XSI Advanced』というソフトウエアは、建築分野などでは使う人もいましたが、当時の秋田で映像周辺で3Dを扱う人は、たぶん自分たち2人しかいないような状況でした。そういう環境の中で、どちらともなく一緒にやっていこうという話になったんだと思います。幸い秋田市のインキュベーション施設への入居許可をもらったところで、2004年の2月に独立しました」
伊藤「僕はそのころ応募した『デジタルコンテンツグランプリ東北』で準グランプリをいただいて、自分の作品表現に自信を得たのもきっかけになりましたね」
-具体的にはどのような作品を作ってきましたか?
伊藤「最初の地元の案件としては、秋田市の広報誌の仕事をいただきました。秋田の江戸時代の城下町を再現する内容でした」
黒川「ソフトウエアの扱いに関する『SOFTIMAGE|XSI APPトレーナー』資格を取得していたことなどから、業界誌『CG WORLD』で記事の執筆をする仕事もありましたね」
伊藤「契約で公言できませんが、面白い仕事にも関わらせていただきました。あと、産官学で研究する、年配者など交通弱者を守るための研究に使う『歩行環境シミュレーター』にも関わらせていただきました」
黒川「ちょうど3Dの使い方について伊藤と話していたころでした。 3Dは、どうしても鑑賞するための映像として制作することが多いですが、もっといろんな使い方ができるはずなのにと。映像として見て楽しむだけでない『歩行環境シミュレーター』は、人の役に立っていると自分でも思えたのでうれしかった。そういう意味では、3Dの間口ってもっと広く考えてもいいと思っていて、これからもプロダクト寄りの考え方もしていければいいですね」
-他に特に印象的な仕事はありましたか?
伊藤「選管に依頼された知事選や衆院選などの投票啓発するCMなどは、責任も感じつつ制作しましたが、自由にやらせてもらえて印象深いですね」
黒川「私は、秋田朝日放送のIDCM(自局のテレビ広告)を任せてもらえたのはうれしかった。独立するころ、山形のテレビ局の自社広告に3Dのキャラが使われていて、それがかわいらしかったんですよ。いつか自分もこういうのを作れたらなと思っていました」
伊藤「この仕事は請負だったけど、『しばり』がほとんどなくて、すごく自由にやらせてもらえた開放感あふれる仕事だった(笑)。自分としても満足のいく完成度だったし印象的ですね」
黒川「この時、社内コンペしたんです。2人で(笑)。手の込んだ構成の絵コンテをいっぱい描いたんだけど、結局、伊藤が一番簡単に考えたものが採用された」
伊藤「黒川は本気で悔しがっていた(笑)」
-「超神ネイガー」の映像も手がけていますね
伊藤「当初は、自分たちが特撮のCGをやるとは思いもよらなかったですが、特撮の専門家に指摘を受けながら、最近はいい形になってきたと思います。例えば、『ネイガー』の変身シーンに一瞬だけ映り込む『なまはげ』の映像があるんですが、実際に人になまはげの衣装を着用してもらって、リアルに撮影したものなんですよ。すごくまじめに作っている(笑)」
黒川「適当な画像の挿入でもできると思うんですが、そういうことはやりたくないんです」
伊藤「自分たちの中に、それをやっちゃったらダメだろうというストッパーがありますね。下手な作品をお客さんに見せたくない。かつて会社員時代、出来のよくない製品になって販売されてしまったことがあるんです。こういう仕事は、お客さんを感動させてなんぼだと思ってるし、『ユーザーを向かない作品』は作りたくないという決意があるんですね」
-なるほど。採算的に難しい場合はどうしますか?
伊藤「採算的にはアウトなことがあっても、これは外せません。経営者としての視点でなく、クリエーターとしての意識ですね。いい作品、手を抜かない作品であることにこだわってきたことが、今の自分たちを下支えしているんだと思います。僕たちにとっては、作った作品が営業マンで、我が子のようなものです。もちろん産みの苦しみはあって、生んだ後は放心状態になるけれど(笑)」
黒川「『大きく育てよ』と(笑)。でも、伊藤は楽天的だなーって思うんだよね」
伊藤「営業戦略よりも目の前の作品が大事。もちろん営業戦略も大事なことだとは思うけど、シミュレーションだし、机上の空論」
黒川「そっちをそう言う?」
伊藤「そっちの方が確実に思えるんですよ(笑)。営業戦略を練るよりも、作品を練り上げることにリアリティーを感じる。アーティスト的な考え方かもしれない。経営者ではないかもしれないね(笑)」
黒川「でも、作品づくりの意識としては私も同感です。当時、デジタルとかIT的なことって『新しいからいいことがあるらしいぞ』という風潮がありましたよね。作品づくりに対して真摯(しんし)じゃない姿勢の仕事はしたくないです」
伊藤「まじめだね」
黒川「意外とまじめだな、私。まじめだった(笑)」
-伊藤さんと黒川さんは、高校で講師もしてますね
伊藤「はい。秋田も、僕らが高校生のころには考えられない環境にありますね。自分はCGを勉強したくても地元ではできなかったから。最近では『CG WORLD』に教え子の名前を見つけたりするんですよ。そういう生徒が、いつか当社で仕事してくれるようになればうれしいですね」
黒川「中学生が見学に来てくれたりもします。若い世代でも興味がある人はいるんですね。ゲームはみんなやっているし、その裏側を知りたい人は出てくる」
-今後、個人的に取り組みたいことはありますか?
伊藤「僕は映画を作りたいな。何かしら秋田を題材にしたファンタジーかSF。手段はフルCGか実写かはわからないけど、秋田の人が出演した作品を地元の映画館で上映したい」
黒川「私はウゴウゴルーガが大好きで、子ども向けコンテンツや教育向けコンテンツを作りたいです。あとは、個人作品を作って何か受賞したいな」
-会社の方はどうですか?
伊藤「僕は自信だけはあるんです。そんなに根拠はないんですが(笑)。これまでも、徳間書店やSCEなど入り口の狭い所にも入って行くことができた。ノックしていると自ずと道が開けると思うんです。そして、僕は一生現場にいたい」
黒川「ゼロニウムという場所ができたことが、私には夢のようなこと。ここでずっと仕事をすることが夢だけど、進化していかないと振り落とされる業界だから、よりよい夢の場所になるよう頑張りたい。あと、本当に『好きなことを仕事にできるのか?』と思ってきたけど、いつか『できるんだよ』って胸を張って言えるようになりたいですね」
-ありがとうございました。
コンピュータと専門誌に囲まれた同社事務所で行われたインタビューは、2時間に及んだ。デジタル分野においても「職人的な作品づくり意識を持つことの重要性」を強調する2人のこれからの活躍に注目したい。