3人組バンド「halos(ハロス)」のボーカリストでギタリストの草階亮一さん。秋田市を拠点にライブ活動を続ける傍ら、近年、CMなどに楽曲を提供したり、地元イベントのテーマソングを制作したりするなど活動の幅を広げている。地元での音楽活動について話を聞いた(以下、敬称略)。
-秋田と東京を行き来しながら演奏活動しているようですね
草階「毎月、秋田と東京をライブツアーで行き来するのですが、東京・下北沢のカフェでよく演奏しています。同店のオーナーが『秋田にしてこの音楽、いいよね…』と(笑)、私たちの演奏を気に入ってくれて…おかげで、全国のさまざまなミュージシャンと出会う機会もあるので、逆に県外のミュージシャンを秋田に呼んで地元のファンに紹介するライブイベントも地元のカフェで開いています」
-県外ミュージシャンと地元の聴衆の「つなぎ係」ですね
草階「地元のファンは私たちの音楽に対する姿勢を理解してくれているので、私が県外から呼んだミュージシャンの演奏も信頼して受け入れる準備ができています。聴衆の皆さんには、安心してライブ会場へ足を運んでもらえるんですよ。受け入れる側の態勢が整っているから、ミュージシャンもいい演奏ができる。結果として、県外から来たミュージシャンには、秋田に対していい印象を持ってもらえることが多いんです。私たちが地元で培ってきた音楽活動が地域のイメージアップにもつながっていると感じる瞬間ですね」
-渓流釣りや山菜採りなどアウトドアが好きだとか
草階「アウトドア専門誌の取材を受けることもあるぐらい(笑)。ただ、秋田には山があって自然があって海があって…と言うけれど、それだけなら秋田に限ったことではないし…。むしろ、地元が嫌いでしたね。ずっと閉塞感のようなものを感じ続けてきました。もっとも、秋田が嫌いになったのは、自信を持って受けた高校受験に面接で落とされたことがきっかけだと思います(笑)」
-なるほど(笑)
草階「それからは、すっかりいじけてしまって(笑)…ならば好きな音楽、ギターで生きていこうと決め、18歳で米ロサンゼルスに渡りました。現地で偶然出会った日系のミュージシャンからブルースを学びました。独特のフレキシブルな演奏や音楽的なルールなども教わりました。その後、東京や仙台、新潟などを転々としながら…22歳で秋田に戻り、地元の仲間と音楽活動に取り組んできました。地元で一定水準の音楽活動ができているのは、バンドメンバーでドラマーの諸越俊玲さんをはじめ、同世代の1976(昭和51)年生まれのバンドマンが群を抜いて多いですよ。彼らは音楽が好きでしようがないような人たちで、長い間、音楽活動に対する姿勢が一貫しているから信頼できるんです」
-地元で活動することが曲作りや演奏に反映されていますか?
草階「意識的に地域色を出そうとはあまり考えないですね…。どちらかというと、ここで見たり聞いたりしたことがアウトプットされていく感覚です。音楽なので、あまり言葉では説明はしたくないのですが…音や歌詞そのものというのではなく、『描写』として感じ取ってもらえるような演奏を心掛けています。 東京のカフェで演奏後、私のことを知らない東京生まれ・育ちだという人から、『東北の人ですか?』と尋ねられたことがあります。私の演奏にそう感じてもらえる情景があって、それが表現できていたんだと分かってうれしかったですよ。マイノリティーであるというか、ほかとは『違う』ということは、ミュージシャンとして大切なことですから 。また、とある著名ミュージシャンから、『東京にはない雰囲気だ』と評されたこともありましたが、そういうことを何度か言われているうちに、『秋田に住んで、秋田でもがいていることでしか出せない音楽がある』ことに気付きました」
-音楽スタジオも開設しましたね
草階「2012年5月、秋田市内に『ローリングサンダー・レコーズ』と名付けて立ち上げました。仕事のオファーが増える中、自宅では朝も夜もなく仕事するようになってしまったので…オン・オフを切り替える意味で事務所として開きました」
-地方にいながら音楽で生計を立てることに苦労も多いのでは?
草階「私の中ではバンド活動が主ですが…演奏だけでギャランティーを得ることは大変です。特に地方ではマルチな活動が必要で、最近では地元商店街の記念事業や子どもたちが歌うイベント向けテーマソングなども手掛けました。CMなどの楽曲を制作・提供したり、音響会社が集まる場で試験演奏したりすることもあります。地方にいながら仕事ができるようになったのは、ネットが普及したことやパソコンで作業するDTM(デスクトップミュージック)が発達したことが大きいですね」
-仕事を得るための工夫はありますか?
草階「思い切って『言う』ことが大切かもしれませんね。言ってしまったことはやらなければならなくなるし(笑)…そうすることで自ら機会を作っていくことができます。逆に、自分らしく生きることをはき違えると、自らに制限を課してしまうこともあります。例えば、人と関わるとき、『人に何かをお願いするのはロックらしくない』という考え方は、それ自体、誰かが付けた色に染められていることなんですね。私は、従うところは素直に従いながら、自分らしさはステージで出せばいいという割り切りも必要なのではと考えています」
-最近、市内にストリートミュージシャンが減ったのでは?
草階「私自身、秋田に戻ってからは路上で演奏していました。3年ぐらい毎週2回、真冬でも欠かさずに。最近は管理事務所などに事前申請しないと路上演奏をしにくくなっているようですが…ストリートミュージックとしては本末転倒ですよね(笑)。ロックらしい反骨精神を見せられる場が少なくなくなってきたことはちょっと残念ですね」
-ミュージシャンを志す若者へメッセージをお願いします
草階「ミュージシャンとして一番大切なことは楽曲や演奏のクオリティーですが、一定の水準にある人は地元にはまだ少ないですね…。多くの事柄がそうだと思うのですが、南米音楽など苦しみを乗り越えていこうとする過程で生まれた音楽もあるように、『負』が創作の原点なのではないかと考えています。食べることに苦労しない満ち足りた日本では難しいことかもしれませんが、創作のためには、『自分の音楽は世間に通用しないんだ』という強烈な敗北感を味わうことも必要かもしれないですね。あと、私自身は『続ける』ことにこそ価値があると信じています」
-ありがとうございました。
【インタビューを終えて】
独自の世界観を提示しながら着実にファンを増やし、これまで20年余の音楽活動を続けてきた草階さん。「私の音楽は明るくない」と笑いながら話す草階さんの今後の活動に注目したい。